From NY: 岐阜・NYでの創作
山崎広太
僕の個人的な出来事をBALのプログに載せることは、はばかられるのであるが、地方と東京の関係、NYでのスペースグラントのこともあり、載せたくなった。
岐阜での《Bird Man》
岐阜県での中高生のバレエダンサー、モダンダンサーのための、僕の振付《Bird Man》 が無事終了した。全18泊滞在で、45分の作品を振り付けた。2001年に渡米して以来、しばらく日本の方々と、しっかりと作品と向き合ったことが余りなかったし、NYに移住し、人生を変えて精神的にも不安定な中での創作だった。そのこともあってか、ここ7、8年不安定な作品が多かった。柄谷行人さんの『隠喩としての建築』で、作品はそのような時が一番面白いというようなことを言っていた気がする。でもここに来て、自分で言うのも可笑しな話だが、振付家としては少しは安定し、やっとそれが実現したような、感慨に満ちた公演となった。

そして岐阜の人たちと、NHKの朝の連続テレビ小説のような、素晴らしい雰囲気の中で過ごすことができた。鵜飼にも招待して頂いた。こんな経験をすると、日本の地方で、しっかりと作品創作に向き合いたいように思った。環境もいいし、時間もあるし、食べ物も美味しいし、やはり一番満たされるように思う。でも、まだしばらくはNYで活動を続けて行きたいと思っている。
ダンサー達は僕が不在の時は、結束力のもとに僕のムーブメントを練習していた。なにより、ダンスに対して固定観念のない中高生達のポテンシャルの高さを感じた。多分、実際お客さんが見て、誰もが少女達が踊っているとは感じなかったと思う。それほど、しっかりした動きで、意思の強さを感じさせた彼女達だった。この公演を支えて下さった、先輩のモダンダンサー達はもちろん、先生方、岐阜市教育文化振興財団の方々に感謝いたします。
丁度、そのリハーサルのあい間に、名古屋でのあいちトリエンナーレ2010のプレイベントに行って来た。そのなかで、二足歩行クラブの方の街頭でのパフォーマンスが面白かった。白塗りで、腰から紐に引いたラジカセから鳴るアニメのクララの叫び声とともに崩れるダンス。普通なら、変な人だと素通りして、見て見ぬ振りをして人は通りすぎるのだろうけど、それとは逆で、とても良くお客さんとのコミュニケーションが行われていた。このコミュニケーションのあり方に、日本人の柔軟性を感じた。そして、二足歩行クラブさんは美しく舞っていた。

また岐阜での話題に戻り、このように作品を作ると、是非とも東京で公演したくなる。実際問題として、地方の方々が東京で行うことは稀ではないだろうか? 日本での地方と東京との関係も考えざるをえなくなった。一番の問題は、東京で、それを受け入れる劇場がないこと、コンテンポラリーダンスのネットワークもない、たとえ、アーティストが地方で作品を作って公演が行われたとして、またそのような事業が多い中で、どのように東京と関連を持たせることがきるのかを思った。地方との関連のプログラムも、今後実現できることを望んでいる。
NYでの《れろれろくん》《Rays of Space》
そしてNYに戻り、コロンビア大学、バーナード校のダンサーに振り付けるDTWの公演《れろれろくん》のリハーサルと、僕のカンパニーでのDanspaceprojectでの公演《Rays of Space》のリハーサルが始まった。ローアー・マンハッタン・カルチュラル・カウンシル(LMCC)からスペースグラントを頂いた場所が、なんと、ウォールストリートにある、まさしく観光客、証券マンが行き交うNY証券取引所の目の前のビルの地下で、昔、金庫室だったスペース。ちょっと驚いた。音楽、演劇、ダンス、ビジュアルアーティスト等、20人程のアーティストがシェアしている。この歴史的なビルのオーナーが、空いているスペースを少しでもアーティストに還元しようとしている心意気を感じた。もし日本で、スペースを提供して下さる方がいたら、是非ともBALがアーティストのために橋懸かりになりたいと思う。
バーナード校での作品は、おかざきけんじろうさん、ぱくきょんみさんの絵本『れろれろくん』をテキストにした作品。みんな上手く踊れないけど、 またそこが良く、リハーサルが楽しいし、みんな可愛らしい。この作品も個人的にはいけそうな気がする。そして、NY在住の中国人の振付家、Yin Meiとのコラボレーション《City of Paper》のリハーサルも始まった。12月のラフォーレのショーケースもそろそろ開始しなくてはと思いつつ、グラントの申請期間でもあり、とりとめもない日々を過ごしている今日この頃。そんな状況で忙しくても、ほとんどいつでも使えるスペースグラントがあることは、アーティストにとって、なんとストレスがないことか。
それとJCDNから刷新会議の情報が届いた。僕としては、民主党の意見も間違っているし、今までの非効率的な文化庁のあり方にも疑問がある。今後はどういうふうになっていくんだろう、少しでもアーティストの意見を聞いてくれるチャンスがあるのだろうか。経済危機であるがゆえにこそ、アートが立ち上がらなくてはいけない、そのための環境づくり、アーティスト同士のコミュニケーションが必要に思う。


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【関連サイト】
LMCC - Swing Space - 14 Wall Street
僕の個人的な出来事をBALのプログに載せることは、はばかられるのであるが、地方と東京の関係、NYでのスペースグラントのこともあり、載せたくなった。
岐阜での《Bird Man》
岐阜県での中高生のバレエダンサー、モダンダンサーのための、僕の振付《Bird Man》 が無事終了した。全18泊滞在で、45分の作品を振り付けた。2001年に渡米して以来、しばらく日本の方々と、しっかりと作品と向き合ったことが余りなかったし、NYに移住し、人生を変えて精神的にも不安定な中での創作だった。そのこともあってか、ここ7、8年不安定な作品が多かった。柄谷行人さんの『隠喩としての建築』で、作品はそのような時が一番面白いというようなことを言っていた気がする。でもここに来て、自分で言うのも可笑しな話だが、振付家としては少しは安定し、やっとそれが実現したような、感慨に満ちた公演となった。

ダンサー達は僕が不在の時は、結束力のもとに僕のムーブメントを練習していた。なにより、ダンスに対して固定観念のない中高生達のポテンシャルの高さを感じた。多分、実際お客さんが見て、誰もが少女達が踊っているとは感じなかったと思う。それほど、しっかりした動きで、意思の強さを感じさせた彼女達だった。この公演を支えて下さった、先輩のモダンダンサー達はもちろん、先生方、岐阜市教育文化振興財団の方々に感謝いたします。
丁度、そのリハーサルのあい間に、名古屋でのあいちトリエンナーレ2010のプレイベントに行って来た。そのなかで、二足歩行クラブの方の街頭でのパフォーマンスが面白かった。白塗りで、腰から紐に引いたラジカセから鳴るアニメのクララの叫び声とともに崩れるダンス。普通なら、変な人だと素通りして、見て見ぬ振りをして人は通りすぎるのだろうけど、それとは逆で、とても良くお客さんとのコミュニケーションが行われていた。このコミュニケーションのあり方に、日本人の柔軟性を感じた。そして、二足歩行クラブさんは美しく舞っていた。

NYでの《れろれろくん》《Rays of Space》
そしてNYに戻り、コロンビア大学、バーナード校のダンサーに振り付けるDTWの公演《れろれろくん》のリハーサルと、僕のカンパニーでのDanspaceprojectでの公演《Rays of Space》のリハーサルが始まった。ローアー・マンハッタン・カルチュラル・カウンシル(LMCC)からスペースグラントを頂いた場所が、なんと、ウォールストリートにある、まさしく観光客、証券マンが行き交うNY証券取引所の目の前のビルの地下で、昔、金庫室だったスペース。ちょっと驚いた。音楽、演劇、ダンス、ビジュアルアーティスト等、20人程のアーティストがシェアしている。この歴史的なビルのオーナーが、空いているスペースを少しでもアーティストに還元しようとしている心意気を感じた。もし日本で、スペースを提供して下さる方がいたら、是非ともBALがアーティストのために橋懸かりになりたいと思う。
バーナード校での作品は、おかざきけんじろうさん、ぱくきょんみさんの絵本『れろれろくん』をテキストにした作品。みんな上手く踊れないけど、 またそこが良く、リハーサルが楽しいし、みんな可愛らしい。この作品も個人的にはいけそうな気がする。そして、NY在住の中国人の振付家、Yin Meiとのコラボレーション《City of Paper》のリハーサルも始まった。12月のラフォーレのショーケースもそろそろ開始しなくてはと思いつつ、グラントの申請期間でもあり、とりとめもない日々を過ごしている今日この頃。そんな状況で忙しくても、ほとんどいつでも使えるスペースグラントがあることは、アーティストにとって、なんとストレスがないことか。
それとJCDNから刷新会議の情報が届いた。僕としては、民主党の意見も間違っているし、今までの非効率的な文化庁のあり方にも疑問がある。今後はどういうふうになっていくんだろう、少しでもアーティストの意見を聞いてくれるチャンスがあるのだろうか。経済危機であるがゆえにこそ、アートが立ち上がらなくてはいけない、そのための環境づくり、アーティスト同士のコミュニケーションが必要に思う。


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【関連サイト】
LMCC - Swing Space - 14 Wall Street
by bodyartslab
| 2009-11-28 14:15
| Essay