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カテゴリ:Essay( 15 )

AASパーティー「フラムドールのある家」に参加しました|BAL活動紹介 補遺

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8月24日、アサヒ・アートスクエアで開催されたロングパーティー「フラムドールのある家」にWWFes事務局としてゲスト参加しました。これは、朝10時から夜の10時まで、アサヒ・アートスクエアのこれまでとこれからにかかわる人々を中心に、BGMが流れる会場の中で、フードやドリンクを囲んで、時間を共有するパーティー。「リビング」としてしつらえられた場で、アットホームでかつ、開放的な雰囲気のゆったりとした進行のなか、トークやライブが行なわれました。

「おしゃべりランチ」と題した、お昼の約1時間半に一人3分ずつマイクをパスして写真スライドを背景に行なわれた、ゲスト・ホストによる活動紹介の内容を、補遺として掲載します。WWFes事務局(BAL)の活動の導入として、2013年現在の記録として、ご覧いただければ幸いです。

●会場の模様はこちら>>



活動紹介

Whenever Wherever Festivalの創始

Whenever Wherever Festival(ウェン・ウェア・フェス WWFes)は、コンテンポラリーダンスのフェスティバルで、2009年から東京で毎年開催しています。2010年・2011年には、アサヒ・アートスクエアのパートナーシッププロジェクトに選出され開催いたしました。

フェスティバルを運営する組織、ボディ・アーツ・ラボラトリー(BAL)の発足は、ニューヨークで振付家として活動するディレクターの山崎広太が、「新人振付家のための育成プログラム」[●1]を企画し、トヨタ芸術環境KAIZENプロジェクトのサポートを得て実現したことによります。

キュレーター制・リサーチ活動・言葉と身体

「新人振付家のための育成プログラム」は、事務局が選出したキュレーターのベテラン振付家が、新人振付家を選び、制作費をサポートされ、途中オープンリハーサルを経て2組が公演を行なうものでした。こうしたキュレーター制や、公演のみに力点を置くのではなく、制作プロセスを重視するプログラムが、フェスティバルの特徴です。

フェスティバルだけでなく、WEB上でも、アーティストがインタビューや批評・レポートを発信しています。これらのリサーチ活動は、振付を狭義のダンスではなく広義に捉えて、たとえばある振付はどこからきているのか?など、身体をめぐる地盤を言葉によって反省的に考察してみようという考えに基づいています。

WWFes 2013から2014へ

フェスティバルはパフォーマンスなどイベントと、ワークショップなどクラスから構成されています。2012年には初めて、ディベート中心のリサーチ型ワークショップ「アドベンチャー」[●2]を、ニューヨークとベルギーから招いたアーティストを講師に行ないました。

今年第5回WWFes 2013は、これまで実験してきた企画に基づいて「即興の再生」をテーマに、美術家や詩人らを巻き込んで開催します。東京森下で、10月の3週間に、約20のイベントと、7つのクラスを行ないます。批評家出身のスウェーデンの振付家マルテン・シュパンベルグも特別招聘します。また、舞踏の土方巽のテキスト『病める舞姫』からダンスを引き出す作品上演など「言葉と身体」も、フェスティバルに通底するテーマになっています。

来年2014年のWWFesは、4名のアーティストのキュレーター制により実施します。[●3]

(文責:印牧雅子)

●BALの活動歴はこちら>>


注.

[●1]スタジオシリーズ(のち、スタジオラボに改名)
第1回|キュレーター:手塚夏子/振付家:捩子ぴじん|キュレーター:厚木凡人/振付家:福沢里絵
第2回|キュレーター:笠井叡/振付家:北尾亘・吉田拓・岡本優|キュレーター:矢内原美邦/振付家:寺田未来
第3回|キュレーター:山田せつ子/振付家:倉田翠|キュレーター:東野祥子/振付家:新宅一平、ケンジル・ビエン
第4回|キュレーター:大橋可也/振付家:山田歩・唐鎌将仁

[●2]アドベンチャー(2012年5月15日, 16日, 18日, 20日)
講師:トラジャル・ハレル(NY、ヨーロッパを拠点に活動する振付家)、デイビッド・ベルグ(ベルギー出身の写真アーティスト)

[●3]WWFes 2014キュレーター
生西康典(演出家/美術家/映像作家)
大久保裕子(アーティスト/ダンサー)
大倉摩矢子(舞踏家)
田村友一郎(写真・映像)



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上から:
●rendance & 世代間の対話
●即興ストラクチャー公演 Now Here Dance
●WEB上のリサーチ・アーカイブ|●リサーチ型ワークショップ アドベンチャー
●エクスジェンジ公演 写真と身体|●土方巽「病める舞姫」テキストによる公演

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by bodyartslab | 2013-08-25 00:00 | Essay

開くことの可能性―JOU「体験道場」に参加して

岡本拓|BALインターン(エディター)


荒川修作設計の三鷹天命反転住宅で行われたイベント「三鷹天命反転住宅…つづく。」の一環である、JOUのワークショップ/パフォーマンス「体験道場」へ参加した。注1
当日(5月19日)は荒川の命日、とても多くの人で賑わっており、ダンス関係者以外にも建築やデザイナーの方ともお会いすることができた。荒川の建築を管理している団体の方のお話を聞くこともでき、建築の工程や、この住宅の建設の経緯等を伺った。
荒川修作の建築は独特の形態でよく知られており、三鷹天命反転住宅も例外ではない。基本的にはキッチン・リビングルームを中心とし、その周りに4つの部屋が配置されている。しかし、用途は集合住宅でありながら、簡易的な間仕切りがあるものの、基本的にワンルームである。そして、空間の色彩は原色である上に、補色同士で配置されているために、慣れるのに時間を要する。また、曲面が多用されている等、この建築における特殊な要素をいくつかあげることができる。注2

ワークショップ(WS)は、30分間会場内のキッチン・ダイニングルームを中心に行われた。あらかじめ講師から、部屋に何台かのカメラが取り付けられていること、このカメラに向けて体を動かして欲しいことを告げられる。カメラに映った映像はリアルタイムに会場内のテレビに映しだされ、参加者はそれを見て自分の動きを決めることになる。また、カメラは3台設置されており、1つは天井に設置され、キッチン・ダイニングを俯瞰するように、2つ目と3つ目のカメラは周辺の廊下からキッチンを映しており、その一つはクロースアップして目線の高さで映し、もう一つは腰の高さからやや引き気味に映していた。
参加者はダンスのプロ、初心者の経験を問わず、基本的に自由に体を動かすことができ、30分の間、空間と自分と他人との関係からそれぞれが自分の行う動きを考えなければならない。
講師を筆頭に始まったWSの前半は、参加者それぞれの動きや目的意識が明確ではなく、バラバラに動いていたように感じた。自分自身、自由な動きを求められる中で何を根拠に規定するべきか少々戸惑った。しかし、後半に進むにつれ、講師の先導もあって、空間の特徴やカメラの役割が把握できるようになり、どのように対処すべきかが理解出来るようになった。
ここで、先述したカメラ(から映しだされる映像)と身体との関係を整理してみたい。参加者はカメラの映像から動きを決定している。映像を見ることによって、自身の運動を客観視することや、カメラを介して空間を別の角度から見ることによって生じた分節化された空間を元に、自らの身体の配置を考える。
また、これらの装置は、別の視点から運動を規制する。つまり、この空間で身体を動かすことは、その運動を観察する他者が存在すること、そして、そこで起こっているすべての事象が別の人間によって読み取られるという可能性をも含んでいる(今回このWSがUstream配信されているという設定もまた同様に考えられるだろう)。私自身、凸凹した床の部分的な角度に体を委ねてみたり、複雑に構成されている壁に体の動きを委ねてみたりと、観察されうる対象として解読されることを前提に考えながら様々な実験を行なった。それにより、空間と参加者同士の意図との関係を探る試みが出来、よい体験になったと思う。

このWSで得た個人的な体験は、今後のフィードバックによって、より段階を経ることが出来るだろう。講師が企画した他のプログラムにおいても参加者がより主体的に関わることによって、「開く」という可能性が広がるのではないかと感じるに至った。


注1
JOU [project-144] (「三鷹天命反転住宅…つづく。」[主催:ABRF, Inc.]にて)
コンテンポラリーダンサーのJOUが、三鷹天命反転住宅に2011年5月16日-22日の1週間滞在し、様々なパフォーマンスやワークショップを開催。計144時間の滞在期間中の様子はUstream配信された。
● 開催情報
http://www.architectural-body.com/mitaka/201105event.html
http://odorujou.blog100.fc2.com/blog-entry-1536.html
● Ustreamアーカイヴ
http://www.ustream.tv/channel/project144/videos

注2
その他特殊な要素として、化粧室やシャワールームに間仕切りがないことや、曲面に覆われた球体の部屋や凸凹の床等があり、いくつかの場所で日常生活をする上で支障を来たすのではないかと思われた。
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by bodyartslab | 2011-09-19 00:00 | Essay

振付家相関図

これは山崎の独断と偏見での、かってな振付家相関図である。かなり、適当ではあるが、NYと東京においても、ほぼ同じなのが不思議。

60代前半、楽しい系
50代中盤、暗い系
50代初め、ロマン系
40代中盤、しっかり系
40代初め、通俗系
30代中盤、ロジック系
30代初め、さわやか系
20代中盤、ひねくり系
20代初め、?

一方、このような世代を飛び越えたアーティストが多いことも事実。
多くの人に、怒られるかもしれないが、こんな図で、振付家同士のコミュニケーションがあってもいいのかな?とも思いました。

山崎広太
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by bodyartslab | 2010-08-15 12:17 | Essay

パブリックについての、二つのコメント

山崎広太


佐賀市の福岡加奈子バレエ研究所より、9月に一般の方々へのワークショップの依頼がありました。そういえば、身体を通したこのようなワークショップは、多く行われるといいだろうと思いました。

ダンスは、日常に溢れています。誰でも、すぐダンスすることができます。読書をした時も、お茶を飲んだ後も。ダンスで良い・悪いはありません。僕たちの身体は、踊り方を知っているからです。歩いてみる、歩いて周りの風景を身体で見てみる。ふと立ち止まる。動いている景色と時間に気づき、そこにいる自分の身体をしっかりと感じてみる。このような何気ない行為も、自分の意識や感じ方次第で、れっきとしたダンスになると僕は思います。
身体は、言葉よりも思考よりも、早くそして素直に、物事を人に伝えます。言葉でうまく言えないことでも、身体でなら表現することができます。もやもやした気持ちや、なんだかわからないけどそこにあるものを表出することができるのです。頭だけではなく身体を通して考えることができるようになると、より風通しの良い毎日を送れるようになるかもしれません。身体を使う楽しさや、身体を使った色々なコミュニケーションを学ぶことで、日常の風景が今までとは全く違って見えてくるかもしれません。そして、自分に対しても、周りの人に対しても、もっと興味がわいて、もっと知ることができるようになると思います。

それと、いつも助成金のことを言って憚れるのでありますが、財団がアーティストに対してフェローシップとして助成を設定することは、アーティストがコミュニティのワークショップを通して、ダンスをパブリックへ還元することも含まれていると考えることができ、教育、行政が一体となった助成金のシステムもあってもいいと思いました。
もう一つ、NYに普段住んでいると、東京では、NYに比べてアートフェスティバルはとても少ないです。それを思うと、東京という街を意識したイベントが、もっと行なわれるべきだと思います。それにもっとも適しているものの一つが、site-specific danceです。
site-specific danceが行なわれることによって、市民は自分たちの街を、再認識、意識化します。そうすることで、東京という街に、人々の愛情が少しずつ芽生えることと思います。そのように、東京に住んでいる市民として、街を意識したイベントが多く行なわれることは必要だと思います。BALは、今後、site-specific danceを行なう道をより探っていきたいと考えます。
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by bodyartslab | 2010-08-05 16:26 | Essay

Eiko & Koma Retrospective Project 1: Regeneration

山崎広太


数年前より、NYではダンスの回顧展が多く行なわれるようになった。それは時代が変わろうとするときに、もう一度昔のことを回顧する必然的な流れのようにも感じる。"Eiko & Koma Retrospective Project 1: Regeneration"はNYのSt. Marks Churchで行なわれた。

公演のことを述べる前に一つ、自省の意を込めて記したいこと。それは、舞踏的なパフォーマンスを見るときに、瞬時にこの身体の在り方は舞踏である、舞踏ではないといったジャッジをしてしまっている自分がいるという事実。これは、作品の本質を見逃しかねない上に、パフォーマンスを見る視野を自ら狭くすることでもあるだろうから危険。ただ、自分の中に、舞踏における身体の形成や有り様が確固たるものとして築かれてしまったことは確かだろう。僕が舞踏をやる上で、最も影響された合田成夫氏の言葉のフィードバックを何十年も行なってきた所以であると勝手に自分で推測する。排除するという行為が厳然たるものを築いていくこと、それが伝統になっていくと推測する。

一部は、ビデオ《Dancing in Water: the Making of 'River'》(2009)から始まった。夜の川に入って、動物のビーバーのように顔を出し、Eikoさんが佇んでいる。どこからともなく三味線の音が聞こえてくる。Komaさんが同じ川に現れ、二人は夜の景色で周りが何も見えなく、ここは隅川?とも思ってしまう。またそこは「曾根崎心中」を彷彿とさせる、日本のリリシズムに満ちていた。場面は一転し、昼での川でのリハーサル風景。それはまぎれもなくアメリカの川であり、ネイチャーと身体との、その風土ならではの見出し方があると想像してしまうのだが、何故、その土地で日本の三味線なのか、白塗り、着物なのか疑問に思った。

二部は《Raven》(2010)という作品。儀式的で明るい空間が設定されている。焦がされていて、ほとんど黄ばんでいるバックのカーテンと、それと同じ素材のフロアー、たくさんの羽が散らばっている。端には、藁が整然と敷かれており、シンメトリーになっている空間。上手にインディアンのミュージシャンが座っている。Eikoさんは、舞台中央にシンメトリーに寝ている。それから上へと上昇するようなブリッジになる。身体の持って行き方が、まず上半身から上を仰ぎ見るように始まる。既に飢餓のシチュエーションを喚起させる。そして、また身体を折りたたみ小さくなり、次第に足が持ち上がる。それは舞踏における胎児の姿態ではないし、病んだ身体でもない。蔭のある身体でもない。次第に、音との高まりととともに、何か感情を伴った表現主義的なダンスを感じさせる。憎しみに対してなのか、怒りなのか、戦いなのか。それにしても、毅然としたインディアンのシャーマンのようなミュージシャンは、まったくダンスを見なくて、気配を察して太鼓を叩き歌う姿は凛々しかった。Komaさん登場。二人の関係性が掴めない。しかし、二人だけの豊穣で神秘な時間が訪れているのは確かだった。この二人のシチュエーションは「楢山節考」なのだろうか、それとも原始時代に限りなく近い縄文なのだろうか。ここに独特な世界観を垣間みた気がした。Komaさん、頭を激しく床に叩き付けて、EikoさんはKomaさんの上に乗り、動物の交尾のようだった。そして静かに幕となった。

三部は《excerpts from White Dance》(1976)。Eiko & Komaさんの最初に作った作品であり、この作品によってNYで強烈なデビューをしたものと想像される。Komaさんの、赤い着物姿で、しのび足で始まる。そして上半身から動き出し、何か玉のようなものを持っているような姿態で歩行する。上手奥から下手奥に行く。Eikoさん登場、水が滴っているような佇み方が美しい。また同じように天に仰いで、そして身体は床に落ちる。落ちてからというものの、身体のフォルムを左手で支えていることから、美しいといえるが形骸化したフォルムに感じる。それから、Makoさんが寄り添う、身体のポジションを移動しながら二人でしばらくバランスを取る。Komaさん離れ、Eikoさんのローポジションダンス、そしてKomaさんのソロ。ヒューモアなダンスではあるが、何故ここでそのような行為が入ってくるか理解できなかった。そして、ジャガイモを運んでくるのだが、まったく理解でない作品だった。多分、今回は抜粋としての作品だから、それぞれのセクションを無理矢理繋ぎ合わせたために不可解になったと推測する。この作品は、セットが同じせいもあり、ほとんど30年以上も前の先ほどの作品と同じように感じた。しかし二人で築いた痕跡、強烈な時間性、重みを作品を通して感じることができた。マイノリティーが普遍化した強さを感じる。

Eiko & Komaさんの作品は、以前、東京のスパイラルホールで見たことがある。そのときは、超明るい空間に、形象化されたフォルムを超ゆっくりした速度で展開するもので、アーティスティックに感じた。今回見て、感じたこと。70年代後半から80年代に掛けて、世界では舞踏というものがまったくない中で、舞踏第二次世代が海外に流出し、圧倒的な評価で受け入れられた。つまり、オリエンタリズムとして受け入れられたのは当然のことであり、僕にとっては、ある意味、羨望の眼差しに映る。そろそろ僕としては「舞踏」という確固たる身体のメカニズムが現存することに今後挑戦したいし、それを見たいと思っている。死ぬ直前まで、身体は暗黒だから、イコール身体の王国と言ったように、アジテーターとして、また挑戦的に言葉を吐く広告塔として、土方さん自身が存在していたし、そうした存在のあり方が後世の人たちへの愛のようにも感じる。土方さんはしかし絶対的なものを持っていた。そして残念ながら「東北歌舞伎計画」の途中で亡くなってしまった。

公演が終わって、David Gordonと奥さんのValda Setterfield、Eikoさん、Komaさんのアフタートーク。Davidは踊りのことも知らないで映画を選考していたわけだが、Valdaと一緒にならなければダンスの振付はしていなかったというエピソードや、Komaさんがドイツで教師から、ダンサーとしては駄目なので、あなたがダンスを続けていくにはEikoさんと一緒になることだと言われたことなど、トークは充実していた。ダンスを始める機会は、とても些細なことからなのだな~って。

May 28, 2010 at St. Mark's Church, NY

[やまざき・こうた|振付家・ダンサー]


Eiko & Koma Retrospective Project I: Regeneration
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by bodyartslab | 2010-06-03 00:00 | Essay

Marina Abramović: The Artist Is Present

山崎広太

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MoMAでやっているMarina Abramovicの回顧展を見てきました。最初に思ったこと。何で平日の昼間なのに、こんなにお客さんが多いのだろう。やはり、MoMAは観光名所なんでしょうね。2階に上がった瞬間。何か、ただ事ならぬ雰囲気が伝わってきました。広い空間に、映画によく使う太陽の光のライティングの中で、二人の人間が向き合って、見つめ合っていました。その一人は、本人のMarinaでした。一瞬、何もしない身体の強さを感じたけど、僕たちはMariana本人そっちのけで、未奈の友人のWillが参加しているということで、早くそれが見たくて見たくて、6階に駆け込みました。そして、Willを見つけました。裸で骸骨を上にのせ、瞬きさえせずじっとしていました。何を見ているのか解らない彼の視線が、少し怖かった。その目のみが、流れている水を感じさせたからです。それ以外は、まったくの物体でした。身体が、Marinaのことを伝えるための、ただ道具のようにも感じました。Willの目はそれを伝えている、虚空の寂しさのようにも感じました。

周りの映像も、陰気臭く、女性器を執拗に晒したり、繰り返したりする映像ばかりで、見たくない物ばかり。あるダンサーは、真っ裸で、身動きせず、象徴的に天を仰いでいるように手を広げ、尚かつ宙づりのようにされている。こういう時ほど、生活の苦しいダンサーは、かき集められ活躍します。裸になるのも平気だし。何人も見たことのあるダンサーが参加していました。1時間半を3コースで、一日110ドルの報酬。内心、仕事があっていいな~とさえ思ってしまうほどのNYの経済状況。ダンサー達、お金のためだろうけど、可哀想だなとも思ってしまう。

女性二人が、至近距離で向かい合い真っ裸で立っている、そして、その隙間を観客が一人ずつ通る作品(?)というかほとんどアトラクション。男性的には、ちょっとレアな体験で嬉しいけど、それに何の意味があるのだろう?? ほとんどの作品は、オリジナルはMarinaと彼女のかつてのパートナーによって行なわれていた。その必然性を観客は感じる。ここに身体を扱うことの重要なミソがあると思う。お客さんは、ダンス、美術がどうのこうのというのではなく、身体の場合は、その人個人を見ようとするんだと思う。本人ではなく、集められた若い男女の身体によって、彼女たちがかつてやった行為が再演される……という状況は、一体何の饗宴なのか? 普遍化する過程で、作品の本質に近いものが失われる可能性もあるのでは? 全体に見て、個人的には、好きでなかった。身体の扱いがシンボリック以外なにものでもないし、何よりも、インスタレーションのセッティングがデリカシーに欠けていた。

一つ、個人的に面白い映像があった。それは上から撮っている映像で、丸い空間の中の壁側にお客さん含め、佇んでいるんだけど、誰がパフォーマーで誰が、お客さんなのか解らない状況になっていて。もちろん、お客さんは、出入り自由。それぞれが、waitingしたり、センターに佇んだり。これは、僕にとって、もっとも興味のあることの一つである。日常の中に、何がアートで何がアートでないか、それぞれに委ねさせ感じさせること、または何を見ているのか不安にさせること。ごく普通の、地下鉄、デパート、交差する横断歩道、学校など、日常の中に、そのようなことはいくらでもある。それをアートの延長として、探ること、意識化すること。日常の中に、隠れた異空間があることを、気づく人は気づき、気づかない人は気づかないように、状況を意図的にセッティングすることにとても興味を持っている。その一つが、透明なサイトスぺシフィックでもある。これは僕にとっての、今後の刺激的な課題である。

それと先週、ホイットニー・ビエンナーレなどを見ても、身体を使ったアートが今年はものすごく多かった。それを思うと、来てるよ来てるよ~身体って感じで。実際身体を使っているダンスアーティスト側からこの状況を見ると、美術の世界から、ダンス側に、お前達ちゃんと身体のこと見つめているのかと、拍車を掛けられているようにも感じる。ダンス側からの、確かなる身体に対するアプローチの必要も感じてしまう。

[やまざき・こうた|振付家・ダンサー]

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Marina Abramovic: The Artist Is Present
March 14―May 31, 2010 at MoMA

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by bodyartslab | 2010-05-23 00:00 | Essay

From the Horse's Mouthに参加して|1

山崎広太


ユダヤ系のすごく大きなコミュニティ・カルチュラルセンター、92nd Street YのHarkness Dance Centerが75周年記念を迎え、たくさんのプログラムが催されたなかで、Tina CrollとJamie Cuninnghamが主催するFrom the Horse's Mouthの、参加者総勢70~80名に及ぶプログラムに参加した。かつて、このプログラムを10年程前にSt. Mark's Churchで見たことを思い出した。その時の印象は、リレーのように、ダンサーが自分のエピソードを語りつつ、入れかわり立ちかわり踊るもの。アメリカならではのコミニティダンスを感じた。その公演は、英語が解らなくても、とてもいい印象を僕に残した。
今回、一回きりのリハーサルに参加するために、大きなスタジオの扉を開けた瞬間、ここは老人ホームか?と思った。何故なら、白髪の老人の方が主で、男性は皆、禿げている。中に、いま活躍中のダンサーも数人いた。そして老人のダンサーは主に、昔ビッグカンパニーで踊っていた人たちで、今も尚、このような機会がある時に、顔を合わせ、まったく自分の踊りたいダンスを楽しむかのように踊っている。ダンスを活性化するために、このような世代を超えてのコミニティは必要だと痛感。そして、皆、他人のダンスを、良いとか悪いとか干渉せずに、全て受け入れている環境だった。これこそ、老年になってこそ共有できることなのだろうか。そして、その中には、中学生のバレエの子、アイリッシュダンス、インド舞踊、評論家、ダンスマガジン編集長、ADFディレクター、等の方々が混じっていた。

このHorse's Mouthのストラクチャーは上手く出来上がっている。先ず紹介すると、

"A"セクション(コスチュームは黒をベースにして、赤いスカーフ、リボン等でアクセントを付ける)
1. 簡素なストーリーを言う
今までの経験談、問題を起こしたこと、解決されていなことも含め、ダンスを通しての不思議な体験等を話す。
2. ダンスの場所
16カウントの振付、またはインプロ。そしてダンスをする前に、紙をめくり、そのダンスのテーマが告げられる。
3. 空間移動
16カウントの振付されたステップ、またはインプロ。同じように紙をめくり、移動のコースが告げられる。
4. 他のダンスの方々と慣れ親しんだり、真似をしたりする。

"B"セクション
コスチュームを着て、斜めに踊りながら進む。

"A"セクションでは、これらがリレーのように、入れかわり立ちかわり、同時に進行し、1の話をする方は、真ん中のスポット。2のダンスの場所は、上手奥のポジション。3の空間移動は上手前から始める。4は下手前から始める。
"A"セクションで、5名位の話をする方が終わったら、上手奥から下手前に斜めに、"B"セクションが始まる。それで、AとBの繰り返しの構成。

初めてのリハーサルに関わって、何でこんなに楽しいのだろうと思った。本当に良くできているストラクチャーだと痛感した。やはり話をする人の存在の方がダンスをしている人よりも強くなるのは事実。でも、お客さんはしっかりと、ダンスも見ている。ダンスマガジン編集長のWendyさんからは、美しいダンスをするね~と言われた。内心、ちょっと嬉しかった。

さて本番の日を迎えた。僕もかなり訓練した自分のスピーチもいけるだろうと自信を持っていたのだが。リハーサルではダンスはOK!しかしスピーチになった瞬間、足もすくんでしまい、まったく真っ白になってしまった。やはり原稿を見ながらでないとできないことが発覚。原稿を見て話しても、主催者のJamieからWhat's, What'sと何度も指摘されて。あ~ん。地獄だ。そして、だんだん思い出してきて、スムーズに話せてきても、またWhat's と尋問される。内容は、セネガルでトイレから蟹が出て来た話だった。僕自身、実際経験しているので、言葉を羅列するだけでイメージが浮かぶ。トイレに蟹が湧いたといっても、何故湧いたのか、どういう仕組みから蟹が湧いたのか説明しないと納得がいかないらしい。それで、ストーリーに書かれている原稿を実際見せて、かなりの言葉も省略されて、これでいいだろうということになった。そして、ドレスリハーサルではOKが出たのだが、見ている方々、だれも笑わないし(実際、誰も見ていなかった)自分の中で、かなり寒くなってしまった。

本番を迎えた。この由緒ある広い空間が会場で、その隣のスタジオが楽屋なので、皆のダンスは見れない、でもお客さんが笑い話している声が楽屋でも聞こえ、楽しんでいる印象が伝わってきた。楽屋では、ADFのCharles Reinhartがいるし、評論家のDeborah Jowitt、ダンスマガジンのWendy Perron、そして何より、そんな方がいても脇目もふらず、まったく関係ないかのごとく自分のダンスを一生懸命練習しているこの皆の雰囲気が好きだったし、僕は話す人もいないので、その方々の様子をのぞき見て楽しんでいた。日本に来たことのある、Maureen Flemingは、異常な気を発していた。出番だ。Deborah、Wendy, 僕、そしてMaureenと続く、なんと豪華メンバーだ。彼女らのスピーチは素晴らしい、完成度がかなり高い。そして厳粛でフォーマルな雰囲気の中、ついにスピーチ(実は、スピーチは不安だったので、事前にプレイバック2の歌を歌ってOKがでていた)Deborah、Wendyに挟まれて、山口百恵の「プレイバック Part 2」を歌った。この歌は間合いが重要で、間奏の部分をどういうふうにお客さんとコミュニケーションするかが狙いだと思って、歌は下手なんだけど、歌っていて大丈夫ですか?っていう雰囲気で歌い終わった。お客さんから、結構いい拍手をもらったらしい。もう~それどころでなく拍手は聞こえず、次の1のダンスの場所に。でもプレイバックの歌の内容を考えると、DeborahとWendyの厳粛なダンスしている中、この映像がNYパブリックライブラリーに保管されることを思うと、ぞっと身の毛がよだってしまう。歌い終わった後の、Wendyとの交換のダンスは楽しかったし、同時にMaureenは、周りのこととはまったく関係なく踊っているのも心地よかった。そして1日目が終わった。

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by bodyartslab | 2010-03-06 00:01 | Essay

From the Horse's Mouthに参加して|2

山崎広太


翌日、このディレクターのRenataからニューヨークシティバレエの有名なダンサーが来ていたらしく、僕のことを、「彼は誰?Amazing」と言っていたらしいことを聞く。ちょっと嬉しかった。話は変わり、今年のニューヨークシティバレエは、一新した。たくさんの振付家を招待して、一人の建築家に対して、多数の音楽家、振付家が挑む新作が多い。個人的なこと、もう年だけど可愛いRenataを見ると井上バレエ団の藤井直子さんを思い出してしまうし、Wendyは評論家の児玉初穂さんを思い出してしまう。
二日目は、この主催者Jamieの2の空間移動の時に出演することになった。今日のドレスリハーサルでは、照明がなく、皆が明るい客席で見ているなかで行なわれた。初めて、僕のダンスを見る方も多くて、適当に力を抜いて踊っている僕のダンスに、皆が素晴らしいと言ってくれた。特に、Jamieから感謝された。また、ちょっと嬉しい。二日目は、最近振付家として台頭してきた、Monica Bill Barnesが参加していた(コケティッシュなステップを何度も練習していて、雰囲気的にも可愛い)。それと、この92Yのプログラマーである背の高い女性、Kathryn。それと僕のこの3人が揃うと内心いい雰囲気と思って何か作品ができるのではと勝手に思っていたのだが。でも、意識しすぎて、可愛いMonicaとは話せなかったのが心残りだった。

三日目は、僕の出演回数も多くなっている。ダンスの場所では、他のダンサーが絡んで来たり、その後は、男性だけのセクションになって、その時のスピーチも意外と長くなって、踊っている分には楽しいのだけど、ちょっと踊る時間が長くなった分だけ、振り乱し過ぎて失敗だったかもしれない。見ていないのだが、オランダに住んでいるザンブラーノのダンスがソウルで踊ることが話題になっており、そのように狂おしく踊る老人ダンサーのようなものにも、どうしても憧れてしまう自分がいる。

このように参加して、昔よりも力が抜けて、すっごく踊りやすくなった自分を感じた。軽くなって、身体は衰えているはずなのに何故だろう?と。終わって、パーティー会場に向かうため、男性ダンサー達と眺めた、雪に覆われているセントラルパークが美しかった。会場は、今回出演したあるダンサーの家でセントラルパークが一望できる部屋。たくさんの絵が掛かっており、ケータリングも入って、窓から月が映し出されて、Wendy、Deborah、Maureenも来ており、楽しい一晩だった。

一方、こういうプログラムが日本でできるのだろうかと思う。このように、あるお年をめした方々を中心にして、少し、今活躍している方々を混ぜる方向なのか? もしくは、いろんなジャンルの活躍されている方々で、このようなプログラムも行なうことができる。ただ確実にいえるのは、"A"セクションの1と2をリレーでできることは可能だと思った。多分、僕が10年前に見た作品はそうだった。それと、3、4は即興性が強くなる分だけ曖昧になるが、コミニティダンスとしては成り立つ。しかし、それだとTinaとJamieの真似になってしまう。日本でのコミュニティダンスとして、じっくり考えたいところだ。多分、前者をやるつもりで、頭をひねって少しずつ動いていきたいと思っています。
Tina、Jamie、そして参加して人たちに感謝しています。

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【関連サイト】
http://www.horsesmouth.org/
http://www.92y.org/


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by bodyartslab | 2010-03-06 00:00 | Essay

高橋智子さんよりメッセージ

山崎広太


WWFes 2009の「アーティストが選んだ公演」で、JOUさんのキュレーションにより選出され、ショーケースを行なった高橋智子さん。
新潟で創作する高橋さんからメールでメッセージをいただきました。


――何故、新潟にこだわるのでしょうか。

東京にこだわる理由も無いからかもしれません。今自分がいる場所を良くしたいという当たり前の欲求なんだと思います。何かの機会にどこかに引っ越すことがあったら、そこでできることを探してると思います。今は、未熟者ながらヨガやピラティスやダンスの仕事をしていて、仕事は勉強になり、とても充実しています。新潟だからこそ、自主練習のための公民館も使い放題で、環境的にはすごくやりやすいです。実家なので、ちょくちょく長期で勉強のための旅に出られるし。ただやりたがりな人がいないだけなんです!

東京から出戻った人がよく言うんですけど、新潟ってなんかすごくおしい気がするんです! 芸術祭や高校ダンスとか盛り上がってるし、もう少しでなんかが弾けそうな気がしてならないんですけど、どうもそこまでいかない。芸術祭と国体の件で、お役所の方から少し話を伺ったのですけど、どの方もそれぞれの民間の組織の閉鎖的な点を指摘されてました。みんないい人なんですけど、愛情深すぎて、自分の子を自由にさせたがらないのか。新潟で公演をやると、ダンスをやってる人がいない分、近所のおばあちゃんとかが見に来てくれる。それで喜んでくれたりする。こういうのって本来あるべき姿なんじゃないかなと思うんです。

――JCDNが地方でのレジデンシーに力を入れていきたいとのこと。

そういうのが増えたらとても素敵だなと思います。新潟も環境はすごくいいところだと思います。東京だけに集まるのもどうなのかなと思うんです。東京に居たときには見えなかったその限界が見えるような気がします。

Noismの公演も、ダンスをしない若者やおじいちゃんやおばあちゃんがいっぱい見に来てるんです。素敵だなぁと思います。いろんな地域にカンパニーができて、市民がダンスや芸術に触れる機会が増えて、そんなことを通して、お金だけに左右されない豊かな社会ができたらなぁと思うんです。なんでこんなにこんなことを思ってしまうのかわからないけれど、新潟という地方に来てみて突然そう思うようになりました。きっとどこに行っても思い続けると思います。

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クラス受講者の小学生と作品発表にむけての練習風景(写真下・手前=高橋智子)


高橋智子[たかはし・ともこ]
新潟生まれ。長野、千葉育ち。幼少の頃より趣味は手芸、読書、お絵描き、小説書き。3才よりピアノ、バイオリン等、音楽を学び、7才よりクラシックバレエを始める。16才よりダンス作品を作りはじめ、日本女子体育大学舞踊学専攻に入学、2004年に卒業。同年、横浜ダンスコレクションに出場。2005年より、インドでヨガを学び、アメリカでピラティスを学ぶ。現在新潟在住。
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by bodyartslab | 2010-02-19 00:00 | Essay

From NY: 岐阜・NYでの創作

山崎広太


僕の個人的な出来事をBALのプログに載せることは、はばかられるのであるが、地方と東京の関係、NYでのスペースグラントのこともあり、載せたくなった。


岐阜での《Bird Man》

岐阜県での中高生のバレエダンサー、モダンダンサーのための、僕の振付《Bird Man》 が無事終了した。全18泊滞在で、45分の作品を振り付けた。2001年に渡米して以来、しばらく日本の方々と、しっかりと作品と向き合ったことが余りなかったし、NYに移住し、人生を変えて精神的にも不安定な中での創作だった。そのこともあってか、ここ7、8年不安定な作品が多かった。柄谷行人さんの『隠喩としての建築』で、作品はそのような時が一番面白いというようなことを言っていた気がする。でもここに来て、自分で言うのも可笑しな話だが、振付家としては少しは安定し、やっとそれが実現したような、感慨に満ちた公演となった。
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そして岐阜の人たちと、NHKの朝の連続テレビ小説のような、素晴らしい雰囲気の中で過ごすことができた。鵜飼にも招待して頂いた。こんな経験をすると、日本の地方で、しっかりと作品創作に向き合いたいように思った。環境もいいし、時間もあるし、食べ物も美味しいし、やはり一番満たされるように思う。でも、まだしばらくはNYで活動を続けて行きたいと思っている。

ダンサー達は僕が不在の時は、結束力のもとに僕のムーブメントを練習していた。なにより、ダンスに対して固定観念のない中高生達のポテンシャルの高さを感じた。多分、実際お客さんが見て、誰もが少女達が踊っているとは感じなかったと思う。それほど、しっかりした動きで、意思の強さを感じさせた彼女達だった。この公演を支えて下さった、先輩のモダンダンサー達はもちろん、先生方、岐阜市教育文化振興財団の方々に感謝いたします。

丁度、そのリハーサルのあい間に、名古屋でのあいちトリエンナーレ2010のプレイベントに行って来た。そのなかで、二足歩行クラブの方の街頭でのパフォーマンスが面白かった。白塗りで、腰から紐に引いたラジカセから鳴るアニメのクララの叫び声とともに崩れるダンス。普通なら、変な人だと素通りして、見て見ぬ振りをして人は通りすぎるのだろうけど、それとは逆で、とても良くお客さんとのコミュニケーションが行われていた。このコミュニケーションのあり方に、日本人の柔軟性を感じた。そして、二足歩行クラブさんは美しく舞っていた。
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また岐阜での話題に戻り、このように作品を作ると、是非とも東京で公演したくなる。実際問題として、地方の方々が東京で行うことは稀ではないだろうか? 日本での地方と東京との関係も考えざるをえなくなった。一番の問題は、東京で、それを受け入れる劇場がないこと、コンテンポラリーダンスのネットワークもない、たとえ、アーティストが地方で作品を作って公演が行われたとして、またそのような事業が多い中で、どのように東京と関連を持たせることがきるのかを思った。地方との関連のプログラムも、今後実現できることを望んでいる。


NYでの《れろれろくん》《Rays of Space》

そしてNYに戻り、コロンビア大学、バーナード校のダンサーに振り付けるDTWの公演《れろれろくん》のリハーサルと、僕のカンパニーでのDanspaceprojectでの公演《Rays of Space》のリハーサルが始まった。ローアー・マンハッタン・カルチュラル・カウンシル(LMCC)からスペースグラントを頂いた場所が、なんと、ウォールストリートにある、まさしく観光客、証券マンが行き交うNY証券取引所の目の前のビルの地下で、昔、金庫室だったスペース。ちょっと驚いた。音楽、演劇、ダンス、ビジュアルアーティスト等、20人程のアーティストがシェアしている。この歴史的なビルのオーナーが、空いているスペースを少しでもアーティストに還元しようとしている心意気を感じた。もし日本で、スペースを提供して下さる方がいたら、是非ともBALがアーティストのために橋懸かりになりたいと思う。

バーナード校での作品は、おかざきけんじろうさん、ぱくきょんみさんの絵本『れろれろくん』をテキストにした作品。みんな上手く踊れないけど、 またそこが良く、リハーサルが楽しいし、みんな可愛らしい。この作品も個人的にはいけそうな気がする。そして、NY在住の中国人の振付家、Yin Meiとのコラボレーション《City of Paper》のリハーサルも始まった。12月のラフォーレのショーケースもそろそろ開始しなくてはと思いつつ、グラントの申請期間でもあり、とりとめもない日々を過ごしている今日この頃。そんな状況で忙しくても、ほとんどいつでも使えるスペースグラントがあることは、アーティストにとって、なんとストレスがないことか。

それとJCDNから刷新会議の情報が届いた。僕としては、民主党の意見も間違っているし、今までの非効率的な文化庁のあり方にも疑問がある。今後はどういうふうになっていくんだろう、少しでもアーティストの意見を聞いてくれるチャンスがあるのだろうか。経済危機であるがゆえにこそ、アートが立ち上がらなくてはいけない、そのための環境づくり、アーティスト同士のコミュニケーションが必要に思う。
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【関連サイト】
LMCC - Swing Space - 14 Wall Street
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by bodyartslab | 2009-11-28 14:15 | Essay