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Eiko & Koma Retrospective Project 1: Regeneration

山崎広太


数年前より、NYではダンスの回顧展が多く行なわれるようになった。それは時代が変わろうとするときに、もう一度昔のことを回顧する必然的な流れのようにも感じる。"Eiko & Koma Retrospective Project 1: Regeneration"はNYのSt. Marks Churchで行なわれた。

公演のことを述べる前に一つ、自省の意を込めて記したいこと。それは、舞踏的なパフォーマンスを見るときに、瞬時にこの身体の在り方は舞踏である、舞踏ではないといったジャッジをしてしまっている自分がいるという事実。これは、作品の本質を見逃しかねない上に、パフォーマンスを見る視野を自ら狭くすることでもあるだろうから危険。ただ、自分の中に、舞踏における身体の形成や有り様が確固たるものとして築かれてしまったことは確かだろう。僕が舞踏をやる上で、最も影響された合田成夫氏の言葉のフィードバックを何十年も行なってきた所以であると勝手に自分で推測する。排除するという行為が厳然たるものを築いていくこと、それが伝統になっていくと推測する。

一部は、ビデオ《Dancing in Water: the Making of 'River'》(2009)から始まった。夜の川に入って、動物のビーバーのように顔を出し、Eikoさんが佇んでいる。どこからともなく三味線の音が聞こえてくる。Komaさんが同じ川に現れ、二人は夜の景色で周りが何も見えなく、ここは隅川?とも思ってしまう。またそこは「曾根崎心中」を彷彿とさせる、日本のリリシズムに満ちていた。場面は一転し、昼での川でのリハーサル風景。それはまぎれもなくアメリカの川であり、ネイチャーと身体との、その風土ならではの見出し方があると想像してしまうのだが、何故、その土地で日本の三味線なのか、白塗り、着物なのか疑問に思った。

二部は《Raven》(2010)という作品。儀式的で明るい空間が設定されている。焦がされていて、ほとんど黄ばんでいるバックのカーテンと、それと同じ素材のフロアー、たくさんの羽が散らばっている。端には、藁が整然と敷かれており、シンメトリーになっている空間。上手にインディアンのミュージシャンが座っている。Eikoさんは、舞台中央にシンメトリーに寝ている。それから上へと上昇するようなブリッジになる。身体の持って行き方が、まず上半身から上を仰ぎ見るように始まる。既に飢餓のシチュエーションを喚起させる。そして、また身体を折りたたみ小さくなり、次第に足が持ち上がる。それは舞踏における胎児の姿態ではないし、病んだ身体でもない。蔭のある身体でもない。次第に、音との高まりととともに、何か感情を伴った表現主義的なダンスを感じさせる。憎しみに対してなのか、怒りなのか、戦いなのか。それにしても、毅然としたインディアンのシャーマンのようなミュージシャンは、まったくダンスを見なくて、気配を察して太鼓を叩き歌う姿は凛々しかった。Komaさん登場。二人の関係性が掴めない。しかし、二人だけの豊穣で神秘な時間が訪れているのは確かだった。この二人のシチュエーションは「楢山節考」なのだろうか、それとも原始時代に限りなく近い縄文なのだろうか。ここに独特な世界観を垣間みた気がした。Komaさん、頭を激しく床に叩き付けて、EikoさんはKomaさんの上に乗り、動物の交尾のようだった。そして静かに幕となった。

三部は《excerpts from White Dance》(1976)。Eiko & Komaさんの最初に作った作品であり、この作品によってNYで強烈なデビューをしたものと想像される。Komaさんの、赤い着物姿で、しのび足で始まる。そして上半身から動き出し、何か玉のようなものを持っているような姿態で歩行する。上手奥から下手奥に行く。Eikoさん登場、水が滴っているような佇み方が美しい。また同じように天に仰いで、そして身体は床に落ちる。落ちてからというものの、身体のフォルムを左手で支えていることから、美しいといえるが形骸化したフォルムに感じる。それから、Makoさんが寄り添う、身体のポジションを移動しながら二人でしばらくバランスを取る。Komaさん離れ、Eikoさんのローポジションダンス、そしてKomaさんのソロ。ヒューモアなダンスではあるが、何故ここでそのような行為が入ってくるか理解できなかった。そして、ジャガイモを運んでくるのだが、まったく理解でない作品だった。多分、今回は抜粋としての作品だから、それぞれのセクションを無理矢理繋ぎ合わせたために不可解になったと推測する。この作品は、セットが同じせいもあり、ほとんど30年以上も前の先ほどの作品と同じように感じた。しかし二人で築いた痕跡、強烈な時間性、重みを作品を通して感じることができた。マイノリティーが普遍化した強さを感じる。

Eiko & Komaさんの作品は、以前、東京のスパイラルホールで見たことがある。そのときは、超明るい空間に、形象化されたフォルムを超ゆっくりした速度で展開するもので、アーティスティックに感じた。今回見て、感じたこと。70年代後半から80年代に掛けて、世界では舞踏というものがまったくない中で、舞踏第二次世代が海外に流出し、圧倒的な評価で受け入れられた。つまり、オリエンタリズムとして受け入れられたのは当然のことであり、僕にとっては、ある意味、羨望の眼差しに映る。そろそろ僕としては「舞踏」という確固たる身体のメカニズムが現存することに今後挑戦したいし、それを見たいと思っている。死ぬ直前まで、身体は暗黒だから、イコール身体の王国と言ったように、アジテーターとして、また挑戦的に言葉を吐く広告塔として、土方さん自身が存在していたし、そうした存在のあり方が後世の人たちへの愛のようにも感じる。土方さんはしかし絶対的なものを持っていた。そして残念ながら「東北歌舞伎計画」の途中で亡くなってしまった。

公演が終わって、David Gordonと奥さんのValda Setterfield、Eikoさん、Komaさんのアフタートーク。Davidは踊りのことも知らないで映画を選考していたわけだが、Valdaと一緒にならなければダンスの振付はしていなかったというエピソードや、Komaさんがドイツで教師から、ダンサーとしては駄目なので、あなたがダンスを続けていくにはEikoさんと一緒になることだと言われたことなど、トークは充実していた。ダンスを始める機会は、とても些細なことからなのだな~って。

May 28, 2010 at St. Mark's Church, NY

[やまざき・こうた|振付家・ダンサー]


Eiko & Koma Retrospective Project I: Regeneration
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by bodyartslab | 2010-06-03 00:00 | Essay